n4n44の偉そうなブログ

まだまだ小僧ですが、色々と偉そうに話します。

絵を描きはじめました

お久しぶりです。

生存報告も兼ねて。

なぜか始めました

タイトル通りだけれど、1週間ほど前突如絵を描こうと思い立った。途切れかけつつもなんとか続いている。

最初のうちは目も当てられないような有様だったものが日を重ねるごとに明らかに上達している。

書き方を考え、実践し、また考える。そういった繰り返しに充実感を感じられる。ニーアオートマタをプレイして以来ゲームで充実感を得にくくなった僕にはちょうど良かったのだ。

せっかくなので写真添付のテストも兼ねて人前に出してみる。(東方求聞史紀藤原妹紅を模写をしていたつもりだったけれど色々あって首から下は完全に別物だ。)

 

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『NieR:Automata』をプレイしました。

迷ったけれど、書きます。

ゲームとしての完成度の高さ

個人的にゲームとして重視する要素は、システム部分の面白さ、グラフィック、シナリオがかなり大部分だ。

ではこの作品がどうだったかといえば、その3つがそれぞれ高クオリティかつ上手く纏まっていた。

システム部分、具体的にはアクションの面白さなど、は全体的に飽きないように、苦しくないように工夫されていると感じた。

このゲームは周回プレイを前提に作られている。特に2週目は1週目とシナリオの流れがほぼ同じだが、操作キャラが変わり通常のアクションゲームとは別に2Dシューティングゲーム(ハッキングという設定)をプレイする事になる。これは賛否両論あるけれど、僕は演出的にもゲーム的にも面白いと思った。

グラフィックについて、最近のゲームの中でも良い部類ではないだろうか。(最近のゲームに詳しくないので断言は避ける)

先ほど、2週目は2Dシューティングをプレイする事になると書いたが、実際は1週目でもプレイする。というか最初(本当に最初)にプレイする。

例によって賛否両論だが、2週目のハッキングと違いグラフィックが凝っている。(決して2週目が雑という訳でなくて演出上仕方ない事である)

特に自機のデザイン、グラフィックはかなり格好いい、めちゃくちゃ好みだ。

ゲームと哲学

このゲームの設定とシナリオは哲学的なイメージを受けた。

まずNPCやボスエネミーの名前は実在の哲学者から取られている。

そして、主人公も敵も機械、被造物だ。そこから、命とは、というテーマに繋がっていく。

ゲームとはいえ、考えながら受け取ればいい経験になる。ゲームをただの遊びとしか考えられないやつは、何も考えていないだけだ。(どんなゲームでも)

まとめ

アクションゲームとしても面白い上にシナリオもとても良いものだ。

是非とも色々な人にプレイしてほしいと思う。

 

 

『楽園追放』を観ました。

お久しぶりです。『楽園追放』を観たので、感想を。

変形は大事

この作品のロボット、最初見た時は正直ダサいと思ったけれど、実際動いてる所と変形シーンを観ると不思議と恰好よく見えた。

僕だけかもしれないけれど、変形が恰好よければ変形後が多少気に入らなくても恰好よく見えますね。この作品のアーハンみたいに変形前後で雰囲気が似ていると特に。

それと、終盤の新世代アーハンの戦闘シーンはかなり良かった。レールガンとかミサイルとか諸々をコンテナから引っ張り出して使い、宇宙空間でも市街地でも飛び回り、バッサバッサと敵を蹴散らす気持ちのいいロボットバトルは久しぶりに見た気がする。

美少女ロボットアニメと侮る事なかれ

実際美少女ロボットアニメではあるけれど。(アンジェラの髪の長さがすごく好み。)

気付いたらいつの間にか、人間の定義とは何なのかみたいな哲学的な話になっていた。サイコパスもそんな感じだったし、虚淵氏の作風なのかもしれない。

人間とは何なのだろうかという疑問に一つはっきりとこれが答えだ、というモノを提示しているようで、気分のいい作品だった。

まとめ

どこかで傑作ではなくとも良作という評価を見かけた。

たしかに、斬新さは薄いように感じたけれど、戦闘シーンに限らず完成度の非常に高い作品で、少しの間でもつまらないと感じる事は無く、多くの人が高評価していたのも納得。みんな観よう!!!

発言の責任

文体を少し変えた。文章の違和感が大きかったからで大した意味は無い。

それと、以前の記事で『帰ってきたヒトラー』の感想を書くと予告じみた事をしたけれど、断念。

僕みたいな小僧には人前に出せる感想を書くだけの知識が足りないと考えたからだ。完全なフィクションの感想を書くのと違って、ヒトラーホロコーストも現実の話だ。

だから雑な認識、雑な感想では発言の責任を負いきれない。

立場に関わらず、発言には責任が伴う。『帰ってきたヒトラー』は僕がそれを背負いきれるようになったら感想を書くかも知れない。

 

『虐殺器官』を観ました。

お久しぶりです。

虐殺器官』を観た感想を書きたいと思います。

アニメ版『虐殺器官』ではあるが、『虐殺器官』のアニメではない。

意味わかりませんが、この見出し恰好よくないですか?

それはともかく、要は原作そのままアニメにした訳ではないですよ、という事です。

かなり大胆に設定が変更されています。また確かに『虐殺器官』なんですが受ける印象は原作とは少し違いました。(悪い意味ではなく。)

具体的にどう変わったか、そしてどうして印象が変わったかを、この記事では書いていこうと思います。それと、アニメ版『虐殺器官』を「アニ殺器官」、アニメと原作両方を指すときは『虐殺器官』、原作は原作で書いていきます。

確かに地獄はそこにあった。

意味わかりませんが、この見出し文学的じゃないですか?

虐殺器官』で地獄と言えば、アレックスだと思います。第一部で死んでしまうのは変わりありません。

しかし、原作では自殺ですが、「アニ殺器官」では他殺、元准将暗殺の任務で突如錯乱しクラヴィスに射殺されます。なんとアレックスは戦闘適応感情調整のミスでPTSDになっていました。

結果自体は変わりないですが、この変更でクラヴィスが殺意の所在に疑問を持つ理由により説得力がついたのではないでしょうか。(詳しくは観よう)

「母」を殺すという決断。

意味わかりませんが、この見出しオシャレじゃないですか?

原作ではたびたび描かれたクラヴィスの母と死者の国は「アニ殺器官」では全く描かれません。母なんて一回も言ってないはず。

後で書きますが、これで「アニ殺器官」は「アニ殺器官」になったと僕は思います。

カフカはドイツ語で小説を書いた。

意味わからないし、完成度も低い見出しですね。

チェコ編はかなり展開が変わっています。

まずルツィアの名前が少し変わってます。そして、ルツィアからクラヴィスカフカの墓を案内する提案をします。ついでに、ルツィアはルーシャスに言われて、クラヴィスを店に連れて行きます。

ラヴィスの母の設定がない上に戦争は啓蒙というルーシャスの話が無く、人間は利他的行動を取るようにプログラムされているという話も無くなっています。

諸々の展開が合理的になりましたが、クラヴィスがルツィアを追いかける理由が惚れたからという何とも深みの無い物になってしまっていました。(もしかしたら僕の勘違いかも。)

ジョン・ポールは虐殺の文法を話した。

「アニ殺器官」の印象が原作と少し違う理由は多分、演出にあると思います。

原作ではラストの解釈は、大きく2つありますね。1つはクラヴィスの死者の国への憧れ。(僕はこっちが好きです。)もう一つはジョン・ポールがクラヴィスに虐殺の文法で語りかけていた。

「アニ殺器官」では、おそらく後者を前提にしています。そもそも前者が存在しえない設定ですからね。

原作において後者ではないとする根拠として、虐殺の文法は個人に対しては効果を持たないという設定がありました。

しかし、「アニ殺器官」のチェコ編ではジョン・ポールがクラヴィスとの会話の中で、今この会話にある文法を仕込んだ、と語っています。(虐殺の文法とは別物とも)そしてクラヴィスの感覚に変化が起きる演出。

わざわざこのセリフを入れたのは多分個人に働きかける文法が存在し、ラストの動機付けを狙っていたのではないでしょうか。

これはあくまで僕の妄想ですが、きっとジョン・ポールはおそらく心のどこかにアメリカ、先進国への恨みがあった。(そもそもサラエボの悲劇も先進国の横暴が無ければ起きなかったと考えた?)しかしジョン・ポールは復讐する気はなかった。(彼は人間が理性的である事を望んでいた)

そこにアメリカの暗殺部隊が現れる。恩を仇で返すようなアメリカの勝手さに呆れ、復讐を考え始める。

スキャンダルの塊である暗殺部隊なら虐殺の文法の起点として有効と考え、復讐の備えにクラヴィスに思考を誘導する文法(良心の麻痺あるいは言われた事に従いたく無くなる?)を仕込む。

最期に、アメリカが虐殺の被害者を食い物にする気であると分かったジョン・ポールはクラヴィスの背中を押して虐殺の文法を英語で広める。(虐殺の贖罪、アメリカへの制裁?)

こんな妄想をしました。

蝶(ルーシャスの店の事じゃないよ。)

各所に出てきた蝶(蛾?)はどんな意味があったのか気になりますね。

まとめ

期待が大きすぎたのはありますが、短所が目立ちます。

とはいえ、原作の中からSFアクション要素とテーマの部分を抽出し、文章でしか出来ない演出と描こうとする結末に関わらない要素を大胆に取り除く。そして限られた時間に収め、そのうえ原作の弱い部分を補完した。

これだけやってのけた製作陣はかなり「強い」と思いますし、映画も良作といえます。

万人に向けておすすめするような内容では間違ってもないですが、原作読者は一度観てみる価値がある映画でした。

関係ないですが。

帰ってきたヒトラー』を読みます。多分読み終わったら感想を書きます。

『傷物語』を観ました。

お久しぶりです。

あけましておめでとうございます。

2017年、すでに2週間以上経過していますが、特に変化なく生きています。

変化がないというのは本当は救いのある事だと、昨年実感しました。今年は何があるのか、期待しつつも不安でもあります。

傷物語』完結しましたね。

さて本題ですが、まずは『傷物語』完結おめでとうございます。第一部はもうすでに1年前です。雪で危うく遅れかけたのはいい思い出です。

傷物語Ⅲ冷血編』、1.羽川がすごい。2.テレビシリーズが仮面ライダーにみえる戦闘シーン。3.忍野はやっぱりカッコいい。の3点が、アニメ(映画)としての特徴ですね。物語面は原作に忠実だったと思います。各シーン演出に関しては、テレビシリーズと同じ感じ、で概ね伝わるかな。

羽川は物語シリーズ最強。(何がとは言わない)

傷物語』第三部は、キスショットと阿良々木くんの屋上での談笑の辺りから始まります。

ということは、体育倉庫のあのシーンがある訳です。刺激的。あえて何か言う必要も感じませんが1つ、羽川はすごい。

全体的に暗い展開の第三部では唯一にして最後の癒しが羽川と阿良々木のギャグシーンですね。劇場という環境にあっては、本当に首を攣りかねないです。気を付けましょう。

傷物語全体で、羽川翼というキャラクターはかなり魅力のあるキャラクターだったのでは無いでしょうか。余談ですが『化物語』、「つばさキャット」OPのオマージュがありました。(あれはきっと狙ってやってるはず...)

ある意味でこの作品最大の見どころだった?

原作でも、最後の戦闘はかなりショッキングさを感じさせたと記憶していますが、映像になると本当に刺激が強い。テレビシリーズシリーズでは、『化物語』、「するがモンキー」(サブタイトルは合ってるかな)や『セカンドシーズン』、「つきひフェニックス」の戦闘シーンがかわいらしく見えてくるレベルだったと思います

首が吹き飛ばされても、腕が千切られても、上半身と下半身が分断されても、すぐに治癒して戦闘を再開する(あるいは、そのまま戦闘を続ける)様は正直気持ち悪い部分も多いです。

しかし、どこかでこの戦闘を映像に起こすとどうなるかが見所の一つと神谷氏が言っていたのを聞きました。確かに、そうだったと思います。

異形どうしの戦闘がテレビシリーズの特徴でもある、過剰なほどの演出で描かれています。文章で書くのは困難極まるのですが、失笑しかけた部分もありました。興味がある人にはぜひどんどん見て欲しいです。(誰にでもオススメできる内容ではない)

もはや、言うまでもない。

忍野メメがアニメになって超イケメンになったのは、もはや言うまでもありませんね。

ただ『傷物語』では、貴重なアクティブ忍野が観られるわけです。(第一部のみ)

あとはいつも通りです。大変カッコいい。

最後に。

傷物語』、全3部構成で物議を醸したりはしましたが、いい作品にだったのではないでしょうか。また観ることがあれば阿良々木くんの変化を見ても面白いのかなと思います。(第一部では全くなかったナレーションが第三部ではそれなりに増えていましたがどんな意図があったんでしょう?)後、キスショットが可愛い。第三部では控え目でしたが第一部、第二部ではすごく可愛い。とくに第一部の頭を撫でられるシーンは良かった...

いろいろと急ぎではありましたが感想でした。『傷物語』よくぞ作りきってくれたと思います。製作にかかわった全ての人に感謝します。

 

さて、来る2月3日『虐殺器官』がついに公開されますね。このブログは『虐殺器官』を読んでいなければ存在しなかったりするのですが、それはともかく、僕に大きな影響を与えるきっかけになった映画です。願わくば、名作になって欲しいものです。

 

 

『シン・ゴジラ』を観ました。

そろそろ、ネタバレ全開『シン・ゴジラ』のここが良かった!!という記事を書いても良い時期でしょうか。

シン・ゴジラ』、最初に言っておきたい特徴

見出しってこういう感じで使えばいいんでしょうか。それはともかく、4カ月前に観てました。というか2回観ました。事前に何かを調べたりしていなかったので、かなり興奮しましたね。

シン・ゴジラ』の最大の特徴は、人間ドラマ的要素の少なさだと僕は考えています。

ハリウッド版ゴジラ(2010年代のアレです)では、軍人の主人公の家族愛でかなりテンポが悪くなっていたのですが、シン・ゴジラ』は政治家の登場人物達がこういってよければ淡々とゴジラに対処していくという、テンポのいい作品でした。

そしてもう一つ、シン・ゴジラ』の特徴といえばゴジラの形態変化ですね。これは、物語の展開の変化にリンクしていたと思います。そういう訳で形態変化で物語を区切って、『シン・ゴジラ』のここが良かった!!を書いていきます。(見出しのテストも兼ねて)

第一~第三形態、パニックパートと日本らしさ

第一~第三形態、特に第二形態までは、例えるなら舞台が昼間のクローバーフィールド序盤(橋を渡るシーンくらい)が近いでしょうか。東京湾に漂う無人クルーザーを海上保安庁の職員が調査するシーンから映画は始まります。突然の爆発(?)!地下トンネルに赤い水が浸水!(ちなみに、このシーンはドライブレコーダーの映像風)トンネルから避難!(このシーンも携帯のカメラの映像風)

そして紆余曲折(主人公含む主要人物はここで出てきます。また、国の中枢の即応性の低さが所々描かれています。笑えるところも多いです。)あって東京に上陸した巨大な生命体(ティラノサウルスみたいな歩き方ですが、ゴジラ第二形態です。ゴジラです)から逃げる大田区民のシーンが印象深いです。ふだんなら友達と仲良くしてそうな兄ちゃん(演出的に誰が言っているのか良くわからないので声で判断しました)が「マジでやばいって!にげて!」と叫んでいるシーンや巨大な生命体が家族がまだ残っているビルをもたれ掛かって倒壊させるという恐ろしい場面はかなり恐いです。

 ここで良かった!!ポイントですが、ここまで当事者の目線で描かれている場面がかなり多いです。これが舞台が昼間のクローバーフィールド序盤と例えた所以で、ぶっちゃけ見づらいです。しかし、やすい言葉ですが臨場感はかなりあって、本当にそこでパニックに見舞われている人間がいるような、自分がまさしく場に臨んでいるような体験ができました。

巨大な生命体が暴れまわっていると、突然動きを止めます。自重で潰れたか!?(先の紆余曲折のくだりで、これだけデカいと自重で潰れるので上陸はあり得ないというセリフがありました。)と期待するも、なんと立ち上がります、ゴジラが立った!(ハイジ風)を思いついた人は多いでしょう。

ここで良かった!!ポイント、立ち上がるとき巨大な生命体の表面が揺らめいています。最初は羽毛か、ティラノサウルスかと考えていましたが2回目観ると多分陽炎ですね。そう考えると、後に書くと思いますがゴジラが退散した理由と何となくつながりませんか。こういった見せ方はカッコいいですね。

ここから少し流れが変わります。超法規的措置で出動した自衛隊のヘリが巨大な生命体(立ち上がる前に出動していたので目標が報告と違う、と確認を取ります。この融通の利かなさは自衛隊らしいと思います)を攻撃できる位置につくのですが、すぐ近くに民間人が!自衛隊の銃を国民に向けるわけにはいかないという総理大臣の判断で攻撃中止。この考え方は日本らしいなと思いましたね。

この後どうなるのか疑問に思いましたが、ちょうどよく(?)巨大な生命体は歩みを止め、上陸当時の姿勢を低くした、ティラノウォークで走り去っていきます。

ちょっと不思議なんですが、なぜかティラノウォークの第二形態、蒲田くんと呼ばれた親しまれています。こいつ純粋な物理攻撃で大量虐殺してるんですけど!?

巨災対登場!

巨大な生命体が去ったあと、再襲来に備えるべく、役所の優秀ながら癖のある人間を集めた「巨大不明生物特設災害対策本部」、巨災対が設置されます。ここで主人公、矢口蘭堂をはじめ愛すべきメンバーたちが活躍するのですが、ネタバレを気にしないだけで映画のストーリーを説明する記事ではないので、詳しくは書きませんが、ゴジラという呼称が劇中で使われるようになり、ゴジラ原子力を使っていることが判明し、とストーリー的には重要です。

ゴジラを倒せデモ(調べてみると、ゴジラを守れデモが同時に起きていたらしい。聞き逃しました。)はすこし前に話題になった諸々をイメージしているはずですが、実際に起きそうですこし複雑な気分になりましたが。

言わずと知れた名シーン「ヤシオリ作戦」(この時点では矢口プランという名前ですが)もここで初登場します。

ゴジラ再上陸、燃えた(街も自分も)

満を持してゴジラが鎌倉に再上陸、しかもかなり巨大になっています。ポスターとかで使われているアイツです。カッコいいっすよね、マジで。ゴジラはなぜかまた東京を目指しますが今回は多摩川自衛隊による迎撃が行われます。(鎌倉は見捨てられた形ですかね)自衛隊総力あげた作戦、「タバ作戦」(多摩作戦に聞き間違えた人もいそうですね)攻撃ヘリの機銃で傷一つ付かないゴジラ、戦車隊による砲撃も進み続けるゴジラ、航空機による爆撃も生き残っちゃうゴジラ、爆撃で吹き飛んできた橋で大破する戦車と壊れる指揮所、防衛大臣の無念そうな報告。ゴジラに有効打を打てず終了した作戦、ゴジラやべえなと皆思うはずです。

そして、日が暮れ、ゴジラは再び東京に到達します。米大使館の防衛を名目に米軍の爆撃機が向かってくるのですが、爆撃の予測範囲からの避難誘導が必要になります。この辺りは前半の市民のパニックと打って変わって消防や行政の混乱が描かれます。内閣の重要人物はヘリで、巨災対メンバーは陸路で避難を始めますが、思えばこれが悲劇の始まりでした。

個人的にここからがかなり熱い。米軍の爆撃が見事ゴジラにダメージを与えます。(さすが米軍、とセリフがあります)

すると、ゴジラの背中が紫に光り始めます。口を開くゴジラ、鳴り響くジェットエンジンの様な音。そして、吐き出される炎。焼かれていく街。炎は収束し、紫のビームのようなものへ。ビームで米軍の爆撃機1機を撃墜、残る爆撃機を、背中から放たれる複数のビームで撃墜、そのまま建物を破壊するゴジラ、さらにビームは内閣の重要人物を乗せたヘリに直撃。ひとしきりビームを吐いたゴジラは活動を止める。

良かった!!ポイント、背中からビームです。危うく劇場で叫ぶところでした。お前は、ケストレルかよ!!!!やばい!!!熱い!!!!燃える!!!!こんな感じ。古くからの「ゴジラ」のファンからは否定的に考えられているみたいですが、僕は大好きです。

ヤシオリ作戦」へ、最高に盛り上がる

ゴジラのビームで当然使えなくなった国政に関わる諸施設、立川に機能を移転した内閣はしかし大幅な人員変更を強いられる。

合流した巨災対メンバー生き残りは(主要な人物は皆生存)、休眠状態のゴジラが目覚めるまでに矢口プラン実行を準備するために奮闘する。しかし、進化して何をするか分からないゴジラを恐れる国連核兵器の使用を宣告する。(この辺、いろいろと説明があるのですが省略)

矢口プラン実行のためには大量の薬品が必要なのですが、その薬品を調達するシーン、序盤からの謎がついに解明されるシーンをはじめ、かなり盛り上がります。まさしく最終決戦といった感じ。米軍の協力を取り付けるとか、ヨーロッパのスーパーコンピューターを借りるとか、希望が見えてくるような、ラスボスの前の回復アイテムを準備するような(そういう場面ですが)、雰囲気です。そして、矢口プランの正式名称を決めるシーン、「ゴジラ凍結作戦」がダサいとか云々でなぜか「ヤシオリ作戦」に決定。なぜ神話なのか、当然僕は元ネタがわからなかったです。ただ、エヴァに似てる、かっこいい、のノリでした。

矢口の演説とか諸々盛り上がる要素を経て、いざ最終決戦へ。

実を言うとこの記事はあるワードを使うために書いています。

そのワードにつなげるために必要な情報が欠けている事もわかっています。

しかし、あえてこのまま無理やりつかいます。

ヤシオリ作戦」終盤、圧倒的パワーワードが出現します。

無人在来線爆弾、全車投入!」

高速でゴジラに突っ込んでいく無人在来線爆弾!飛び上がる無人在来線爆弾!

私は悟りました、いまこの場にいる意味を、この最高の気分で、この言葉を、この光景をみる為に、私はここに来たのです。

ありがとう、庵野監督。ありがとう、東映。ありがとう、この映画を作り上げた全ての人。

まとめ

寒い茶番みたいになっていますが、本当にこうなります。この映画のヒットは無人在来線爆弾無くして実現はされなかったでしょう。

この記事をみたすべての人に、『シン・ゴジラ』を観て欲しい。それだけです。

以上、『シン・ゴジラ』の感想、もとい無人在来線爆弾を観て欲しい記事でした。

 

 

『オービタル・クラウド』を読みました。

 お久しぶりです。

先日、オービタル・クラウドを読み終えました。かなり面白い作品だったのですが、少し気になる所もあったので記事を書いている次第です。

まず、作品のあらすじというか流れを大まかに説明すると、日本の流れ星予測webサービス「メテオ・ニュース」を運営する主人公(かなり頭がいい)が、流れ星の予測を行うと、ただのデブリが加速してるおかしい、といった謎から国家の陰謀であるとか、野望であるとかそう言ったものに関わりながら謎の根源に立ち向かう話です。

雑ですが、重要なのは、主人公(かなり頭がいい)、の部分です。さきに言ってしまうと、この作品の主要人物は軒並み超が付くほど優秀です。(あくまで個人の感想です)

作中、いわゆる工作員やエージェントが登場します。彼らが優秀なのは、わかるのです。しかし、主人公は頭の中で軌道上の物体をシミュレーションできます、コンピューター並みの精度で。主人公の相棒メカニックは、国家の工作員を出し抜けるほどの力を持っています。(一応、納得できないではない説明はされていますが。)

いわゆる凡人は多分片手で数えられるほどしか登場していなかったように思います。

ただ、1つ勘違いしてはいけないのは、これだけ優秀な人物が作品の流れを壊すような事はなく、むしろ作品に絶妙な読みやすさをもたらしている事です。

どこかで見かけましたが、登場人物に感情移入しにくいです。しかし本当に読みやすい、面白い作品になっています。少し違う気もしますが、「シン・ゴジラ」に近い雰囲気でしょうか。

また、宇宙の話ではあるのですが、IT関連の話もかなり多く、特に小型のLinuxマシン〈ラズベリー〉はほとんどキーアイテムのように扱われています。こういった身近なモノから謎に挑戦していく様はかなり「熱い」です。

ここまで書いてきましたが、僕はこの作品の構成は、宇宙への親しみの様なものを感じさせるように組まれているのではないかと思います。宇宙SFといえば『2001年宇宙の旅』くらいしか読んだ事がありませんが、あちらとは違い、この作品は現代から容易に想像が出来る世界です。これが上手く働いているのでしょう。身近なモノで爽快感すら感じるように、謎の解明へ進んでいく優秀な登場人物。こういえばある意味で人物設定は妥当だったのかなともいます。

最後に、これはある意味で仕方ない事かもしれませんが、謎の解明はかなり「熱い」ですが、解明の後、問題の解決はすごくあっけなかった印象です。最終的には軌道上の問題は主人公の様な民間人だけでなくエージェント個人でもどうこうできる物ではなく、主観的に解決する様子を見る登場人物がほぼいなかったので、印象が薄くなってしまったのだと思います。

まとめると、少し気になる部分はあるものの読んで良かった、色々な人に読んで欲しい作品でした。

どうでも良い事なんですが、序盤の酷評されていたクソ映画ってG.I.ジョー2作目の事だったんでしょうか。(あれは、何考えて作ったのか分かんない映画でしたね...)